NSTの歴史

1968年、米国のダドリック(Dudrick)らによって、中心静脈栄養法(Total Parenteral Nutrition)が開発され、全米に普及した。同時期に、医師・薬剤師・看護師などの栄養管理を専門とするメディカル・スタッフが各施設で求められるようになり、栄養管理チーム構築の始まりとされる。一方、同時期にブラックバーンにより栄養アセスメントが初めて体系化された。

1973年、米国ボストンシティ病院に初のNSTが本格的に誕生した。同時期に、マサチューセッツ総合病院ではフィッシャー教授がNSTをHyperalimentation Unitという名称で構築していた。

NSTは中心静脈栄養法の普及と相まって全米、ヨーロッパ諸国に広がった。 欧米ではNSTは診療部門の一つとして設立されていることが多い。施設内の全ての症例に対して提言・発言する権利を与えられ、中心静脈栄養法の施行にもNSTの承認を必要とするなどの規定が設けられたりしている。NSTが医療の質の向上や医療費の削減に貢献することを全ての医療従事者が認識している。[2]

日本においても、中心静脈栄養法の普及と同時にNSTが導入されたが、数施設で単科・少数科での活動であったり、全科型でも中心静脈栄養法の管理が中心であった。[2]栄養管理の有用性が認識されていなかった為、経費のかかる専属チームの設立は考えられていなかった。

全科型のNSTの発足は、PPM(Potluck Party Method)方式によるNSTが、1998年6月に鈴鹿中央総合病院に、2000年7月に尾鷲総合病院に設置されたものが日本初である。[2]

現在日本でもNST活動の有用性は認識されており、2004年5月に病院機能評価項目Ver5.0の中にNSTの設立が取り上げられ、2005年末には全国で約700施設でNSTが設立されている。また、2006年4月の診療報酬改定に伴い、栄養管理実施加算が新設された。この加算が求めるものは、全科型のNST活動であり、全国の医療施設がNSTを積極的に設立するきっかけとなった。

ウィキペディアより

 

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